波尾の選択 傑物たちの至言に触れて

名言を超えた至言。生を突き詰める傑物達。至言に触れて触発された想いを綴ります

傑物の至言-41 Bill Evans(ビル・エヴァンス)

 

真剣にジャズ・プレイヤーになろうとするならば、ジャズ・プレイヤーには自分自身以上の教師はいないという結論になります。

(1959マサチューセッツ州レノックスのジャズ音楽学校の臨時講師を務めた後のコメント『ビル・エヴァンス ジャズ・ピアニストの肖像』ピーター・ゲッティンガー著相川京子訳より)

 日本人にオールタイム・ベスト・ジャズ・アルバムのアンケートをすればここ最近の一位はビル・エヴァンス(Bill Evans)『ポートレイト・イン・ジャズ(Portrait in Jazz)』『ワルツ・フォー・デビイ(Waltz for Debby)』

ポートレイト・イン・ジャズ+1

ポートレイト・イン・ジャズ+1

 

以前は『カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)』だった。

邦画なら、一時は七人の侍、最近は「東京物語である様に評価というものも時代の気分、選者だちの都合で簡単に変化する。

 過去についての集団記憶は容易に書き換えられる。

 とは言え、

 ロックばかり聴いていた後にジャズに触れたのは、スタンリー・クラークStanleyのベースからで、やがてジョン・John

ジャック・ジョンソンの冒頭ギターがあまりにカッコの良さを知りそれがマイルス・デイヴィスのアルバムだったから『アガルタ』『パンゲア』『オン・ザ・コーナー』とジャズにしては問題作?から聴き始めモダン・ジャズへ戻るという通常のマニュアル本でいえば逆からジャズの真髄に向かった。

そしてチャーリー・パーカーからジョン・コルトレーンエリック・ドルフィーとサックスに夢中になり、ジャズのガイド本を買えば必ず紹介される『ポートレイト・イン・ジャズ(Portrait in Jazz)』の端正な顔のビルよりはピアニストならばセロニアス・モンクバド・パウエルセシル・テイラーなどの方が刺激的で革新的だと聴く一方、「普通な」イメージのビル・エヴァンス(Bill Evans)は避けていた。

 案の定、バーなどでかけられるレコードはビル・エヴァンス(Bill Evans)の「綺麗な」メロディでそれは六本木や西麻布に似合うカクテル・ジャズの代表と長いこと「誤解」していた。

 そう、ビル・エヴァンス(Bill Evans)は一般的には「誤解」されたままのジャズ・ピアニストだ。

 ジャズを聴き始めてから随分と経った頃、歳上のジャズに詳しい人にビル・エヴァンス(Bill Evans)を聴かない理由を「普通でしょ」と言うと「あの時代、黒人が産み出したJazz musicを黒人ばかりの中でプレイする白人は相当な変り者だよ」と返された。

 当然気付かなければならない事実に気付いていなかった。「なるほど」などと平静を装ってグラスを口にしながら、ぶちのめされた気分だった。自分の迂闊さ、狭量を指摘されたようなものだった。

 

 買い求めたはじめ「リヴァーサイド4部作」。

1959/12/28『ポートレイト・イン・ジャズ(Portrait in Jazz)』録音
1961/2月『エクスプロレイションズ(Explorations)』録音

1961/6/25 ヴィレッジ・ヴァンガード (Village Vanguard) にてライブ収録された、

ワルツ・フォー・デビイ(Waltz for Debby)

『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード(Sunday at the Village Vanguard)』

エクスプロレイションズ+2

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サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード+5

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ワルツ・フォー・デビイ【完全版】

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 ピアノ:ビル・エヴァンス(Bill Evans)、ベース:スコット・ラファロ(RoccoLaFaro )ドラム:ポール・モチアン(Paul Motian)のトリオ。これらアルムがJazz史上燦然と輝いている理由は、なんと言ってもベーシストのスコット・ラファロ(RoccoLaFaro )だ。

ビル・エヴァンス(Bill Evans)が描いた、ピアノがリードし、リズム隊がバックに廻るのではなく、3人は均等にインタープレイするスタイル。ピアノとまるで会話するように、時には格闘するようにピアノ、ドラムが絡み合う。ほとんどリード・ベースの如きプレイでピアノ、ドラムを煽る様はBill Evans trio以前と以後と分岐線を引かれるほど革新的なものだった。その立役者は何と言ってもスコット・ラファロScott LaFaro )のベースだった。

 このベスト・メンバーとなる二人に出会うまで

ドラマー4人とベース・プレイヤー7人くらいには声をかけた。

状況というものは、業(カルマ)とでもいうべきか、時々宿命的に変化していくものだ。関係ない人たちや、もしかすると最適でない人たちを選別して、最終的に正しい形になるようにできているのかもしれない。

(『ビル・エヴァンス ジャズ・ピアニストの肖像』ピーター・ゲッティンガー著相川京子訳より)

 

 聴けばわかるように、テーブル席の客の会話やグラスを置く音が音楽を邪魔するほどに記録されている様に、レコーディング当時は観客が固唾を呑んで聴き入るほど注目されたトリオじゃなかった。

1961/7/6 ライブから11日後にスコット・ラファロScott LaFaro )が交通事故で死去。

 

  半年ほどピアノを弾かなかったというビル・エヴァンス(Bill Evans)はその後もトリオを組み、ソロ・アルバム、デュオ・アルバムなどの傑作アルバムを発表し続けた。

ビル・エヴァンス(Bill Evans)の喪失感、絶望感を推し量る物差しはない。

しかし、ファンやメディアはビル・エヴァンス(Bill Evans)がその後いくつも結成するトリオのプレイにスコット・ラファロScott LaFaro )のいた時期のインタープレイを求めた。

1962年 『アンダーカレント(Undercurrent)』ギタリストジム・ホールJim Hallとのデュオ

1962年『ハウ・マイ・ハート・シングス(How My Heart Sings!)』新たなトリオ

1968年『モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのビル・エヴァンス(Bill Evans at the Montreux Jazz Festival)』

1968年『アローン(Bill Evans Alone)』ピアノ・ソロ

1973年『ライヴ・イン・トーキョー(The Tokyo Concert)』来日公演のライブ

1973年、12年間同棲していたエレインが子供を産めないという理由で新たな女性との出会いをエレインに告げた。エレインはニューヨークの地下鉄に身を投げ自殺してしまった。

1975年『トニー・ベネット&ビル・エヴァンス(The Tony Bennett/Bill Evans Album)』歌手Tony Bennetttとのデュオ

1975年『アローン・アゲイン(Alone (Again))』ピアノ・ソロ

1979年 DVDでも共演が記録されている音楽上のアドバイザーでもあったピアノ教師の実兄ハリー・エヴァンスが拳銃自殺。

1979年『ウィル・ミート・アゲイン(We Will Meet Again)』兄に捧げたアルバムと言われる

ウィ・ウィル・ミート・アゲイン(SHM-CD/紙ジャケットCD)
 

1980/5/27- ヴィレッジ・ヴァンガード(Sunday at the Village Vanguard)にて2週間ライブ。95曲がテープに収録された。
1996年『ターン・アウト・ザ・スターズ(Turn Out the Stars) The Final Village Vanguard Recordings』6枚組(58曲収録)ボックスにて発売される。

 レコード・ジャケットを飾った多くの誤解の元にもなった端正、二枚目の外見は変貌を遂げていた。長期のドラッグ使用、肝硬変、栄養失調などから顔はむくみ、口の周りは髭で覆われ、長髪、異様に太っておりピアニストの武器の指までむくんでいることが映像でも確認できる。

 息子ほど年が離れた最後のトリオのメンバーが何度病院で検査、治療を懇願しても拒否し、ヘロイン摂取をやめようとはしなかったが、ライブ演奏を続けた。

 この話を思い出す度、泣きそうになる。

本人は決して発売を許可しなかっただろう、と指摘されながらも家族が公認後年発売されたラストステージのボックスCDはひと頃よりも明らかにミスタッチや乱れが生々しく記録されている。

 それでも聴くことをやめられない。

 

ビル・エヴァンス ザ・ラスト・トリオ・ライブ'80(完全版) [Blu-ray]

1980/8/9 ノルウェイでのライブ12曲+インタビュー(ラストは嘘)

『ラスト・ワルツ(The Last Waltz: The Final Recordings)8枚組65

1980/8/31-9/7 シスコ、キーストーンでのライブ

●『コンセクレイション~ザ・ラスト・コンプリート・コレクション(Consecration: The Final Recordings)』8枚組60450

1980/8/31-9/7 シスコ、キーストーンでのライブだが上とはダブらない

『コンセクレイション~ザ・ラスト・コンプリート・コレクションVol.2(Consecration: The Final Recordings Vol.2)8枚組67

1980/9/9    ニューヨークのテレビ出演

1980/9/10  最後のステージ。

1980/9/11  自らこれ以上は無理、と病院へ緊急搬送。

1980/9/15  死去。

 

コンセクレイション~ザ・ラスト・コンプリート・コレクション

コンセクレイション~ザ・ラスト・コンプリート・コレクション

 

 

ビル・エヴァンス ザ・ラスト・トリオ・ライブ'80(完全版) [Blu-ray]

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 親子ほど年の離れたメンバーの懇願を拒否したビルの心情は、ピアノを弾きたい、いま演りたいことがあるんだという狂気に近い感情とともに己の病状を察していたからなのか。
 初の自分のトリオが輝かしいキャリアがスタートするはずだった矢先にスコット・ラファロの死去、エレインの、兄の自殺で自分を責め、彼等に会いに行きたかったのか。
 他人の心情を軽々に推し量ることは出来ないが、

ビル・エヴァンス(Bill Evans)と親しかったジャズ評論家が

彼の死は時間をかけた自殺というべきものであった

と述べている言葉は重たい。

 ジャズ・ピアニストとしては最高峰の頂に君臨したビル・エヴァンス(Bill Evans)だったけれど、冒頭の彼自身の言葉、

ジャズ・プレイヤーには自分自身以上の教師はいない

は、自分自身の心にだけ向き合うしかなかった繊細さ、潔癖さを持ち得る才能が言わせた言葉だと思うが、自分という教師からそんな壮絶な人生へ導かれたのだろうか。

突き詰めた人生は51年という長さで終了してしまった。

 

 

ビル・エヴァンス - Wikipedia

1929/8/16-1980/9/15 享年51
ピアニスト、作曲家